チェスター・コパーポットの逆襲

映画、本、ざれごと、好きな事を好きなだけ。

「コンビニ人間」を読んで、人間の存在ってなんだろう?と感じて。

 

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写真は、夏まっさかりですが

 

読書の秋です。

 

 

僕は、

秋とか関係なく

年中、飽きもせず本を読んでいます。

 

小説、エッセイ、ノンフィクション。

あと、なんだか解らないけど難しそうで

読んだ後、インテリぶれる本。

など。

 

色々、読みます。

いわゆる、乱読というやつです。

 

それでも

昔は、ビジネス本、経済の本の類は

 

提出物がある。

 

なんか上司が読めとか言ってくる。

 

など、必要に迫られる事がない限り

ほとんど読みませんでした。

 

しかし、そろそろ中年の仲間入りを

果たした、これを期に

 

ビジネスパーソンが持つべきのモチベ系の

インセンティブを持続させるべく・・・ソリューション能力を」

 

なんて、言いながら、読んでみるのですが

途中からは、寝言になっていきます。

 

まぁ、ビジネス書は読むところは、あるんだけど

やっぱり楽しくは、読めないなぁ。という感じ。

 

でも、そんな僕でも

なんかこう「生きるとは・・・?働くとは・・・?」

みたいに、哲学ぽく、気になる訳です。

 

なので、今回は好きなジャンルである小説に、エスケープし

 

コンビニ人間村田 沙耶香著 文春文庫

 

を読んで、「きみはなぜそこで働くか?」

みたいな事を、ぽつりぽつりと書いていきます。

 

まずは、ざっとストーリーを

 

主人公の古倉恵子36歳は、

幼少期から「変」だと
言われ続けていた。

 

何が、「変」なのかは、本人には解らないが
自分の言動や行動が
家族を戸惑わせる事は、解ったから
彼女は、出来るだけ普通の人間の真似をした。


しかし、彼女は、ずっとうわの空で生きていた。

 

そんな生活の中
彼女は、18歳の時、大きな転機を迎える。


それは、「コンビニ」でアルバイトを始めること

 

「コンビニ」は「変」な彼女に
制服を着せ、規律とセリフを与えた。

 

彼女は、「コンビニ」に繋がれている時だけは
世間と関係を結べていくようになる。

 

さて、「コンビニ」の声は
彼女に、何を与え続けるのか?

 

読んで、思った事。

 

コンビニ人間な彼女、恵子は
すごく真面目な労働者です。

 

愛するコンビニの為なら
文句など一言も言わず
働き続けます。


まぁ他人からすれば、

単純に天職と言いたいところでしょう。

 

しかし、読み進めていくと
この健全な労働者は
やっぱり、どこか狂っている。


それは、彼女とコンビニの関係。
と彼女自身のバックボーン。

 

そして、彼女を存在させられない社会。


このどちらかが、狂っているのか
それともどちらも狂っているのか。
それが、解らなくなる。


でもそこが、とても哲学的で面白い!

 

現実世界では、恵子の様に

課せられた仕事を福音のように

感じ、働き、生き抜く事は、トレンドではない昨今

 

今後、労働に限らず

爆発的なテクノロジーの発展と共に

増え続ける選択肢に喜びと、戸惑いとの

両方を抱えながら益々、僕らは

「自分は、何をしたいのだろう?そして、何者なのだろう?」

と、自問していくのかも知れません。

 

そして、その問題に

本作品が投げかけてきた事。

それは


「僕らも皆。

恵子と同じく

彼女にとってのコンビニの様な存在に

何かを課せられた存在ではないか?という事。

 

何故なら、どんな選択をする人間も

自分で、産まれてくること自体を選んだ人間は
おらず、その時点で生きる事を課せられているのだから」

 

本作は、永遠のテーマである「人間の存在」を
多くの人とは、違った風景から見続けた
コンビニ人間の話。

 

最後まで、読んで頂き誠にありがとうございます。

僕は、昔「本屋人間でした」

 

また、お付き合い下さいませ。