徳一のパンセ 京極夏彦著「オジいサン」を読んで
こんにちは。ショウタロウです。
とある小説家が
「日本の映画界から老人が消えた・・・」
と嘆いておられました。
その小説家曰く
「たま~に、老人が出ていても、その老人は
ちっとも老人老人してなくて
若々しく、ちょい悪で、昨今の若者なんかよりずっとお盛んで
おネェチャンと恋をしたりする・・・
違うんだよなぁ。
もっと老人てのは、若者のライフスタイルなんかには
目もくれず、そこにある季節の移ろいを愛でて
隠居とかしてんだよ。別にそれが、寂しい老後とか
じゃなくてさぁ・・・あぁ老人」
あぁそう言われてみればそうかも知れません。
最近のベテランの役どころはみんな若々しいかも。
もしくは、極端に、孤独な老人・・・無縁社会・・・なんて
寂しい設定が多い気がします。
それが、人生100年時代の銀幕スターって事でしょうか?
でも、今回は、そんな老人マニアもうなる
老人オブ老人が主人公の小説をご紹介。
「オジいサン」
ざっとストーリーを
オジいサンが、公園を散歩して、もの思う。
オジいサンが、馴染みの電気屋に文句を言って、もの思う。
オジいサンが、スーパーでウインナーを買うか迷い、もの思う。
オジいサンが・・・。
もの思うオジいサンのゆるくて深い日常。
感想。
いいです。哲学するじじい。
オトナシいじじいもほんとのところ
何を考えている解りません。
そりゃそうだ。
じじいは
大人も随分やってきてじじいになったんですもの。
じじいは、思いの塊です。
思いを込めた言葉が、泉のように湧いてきます。
でも本作のじじいは、溢れ出す言葉を口には出しません。
こんなじじいになれるかな?
いやなりたいかな?
感慨深い作品です。
映像化は残念ですが、今のところされていません。
僕は、山崎努主演で映像化希望です。
バッチリだと思います。
是非、皆様も
「不思議な事など何もないおじいさんの日常」
を覗いてみて下さい。
本日も最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。
また次回もお付き合い下さいませ。